授業の横でしゃべる親

先日の、子どもの授業参観。


教室の後ろで授業を見ている。廊下にもたくさん親はいて、掲示物を見たりしている。むしろ廊下の親のほうが多いか。教室内は7名くらい。


なぜ廊下で大きな声でしゃべるのか。授業中だというのに。中には聞こえない、邪魔にならないとでも思っているのだろうか。暑い日だったから、窓もドアも開け放した教室なのに。まったく遠慮しない話し方の親もいる。たった40分程度の授業なのに。
そんな親が多いので、廊下は騒然とした雰囲気になっている。特定の誰かが目立って大声なのではない。多くの親が無神経に世間話の延長をしている。わぁお久しぶりと手を振る親も見える。そこから直後に続く話題が、すぐ横で行われている授業の教材検討であるはずがない。茶飲み話なら喫茶店でも行けばいいだろう。近所に喫茶店無いけど。


クラスは教師の城で授業は教師の独裁の場と思っているわけではない。むしろ教室の後ろにせよ廊下にせよ、子どものそばにいたら、それだけで授業の運営に影響する一要素だと、なぜ思わないのか。ただでさえ子どもは、親や大人などがたくさん来て浮き足立っているのだ。*1


そのように気を遣わない親が、同じ口で教師の授業の下手さ加減を言うのだろうか。上手下手にかかわらず授業中は授業実施者にきちんと協力し、それで初めて言うべきことが言えるのではないか。

*1:もし親も巻き込んで授業をもり立てようとする演出を授業者がするのであれば、もちろんそれに乗ればよい。でも参観者としての役割を求められているときに、しかも関係のないことしかやっていないのはまったく話にならない。