「こうのとりのゆりかご」関連論文
「こうのとりのゆりかご」(俗称赤ちゃんポスト)について関連論文があったので、久々にエントリーして紹介する。
山懸文治:「こうのとりのゆりかご」と子ども家庭福祉 子どもの人権・権利と福祉の視点から考える.そだちと臨床,3,75-79,2007.
これまでの関連エントリーをこの後再掲する。
それにしても、ひところの騒ぎがおさまって良かった。ただし、過去のエントリーで書いたように、その後に行政的な進展がどの程度あったかについては不十分であると上記論文では指摘しており、その点が私もいささか不安・不満である。
まず、過去のエントリーはこちら。
→赤ちゃんポスト:熊本市が認可方針(…か?)(misc., 2007/02/22)
→厚労省見解出すも、熊本市結論はまだらしい>赤ちゃんポスト(misc., 2007/02/22)
→赤ちゃんポスト「抵抗感じる」=熊本市に慎重判断求める−安倍首相(misc., 2007/02/24)
→熊本市「こうのとりのゆりかご」設置を許可(misc., 2007/04/11)
→「こうのとりのゆりかご」設置される(misc., 2007/05/03)
→「こうのとりのゆりかご」落ち着いたか(misc., 2007/07/07)
ついでに Wikipedia の書きかけ項目。
→赤ちゃんポスト Wikipedia
さて上記論文では、筆者は(1)福祉サービス・社会サービスの量的質的貧困、(2)制度開拓者の苦痛と社会の受け止め、(3)結局明確な制度的、法的判断がされず見切り発車になった感じが強い、の3点に触れた後、自身の見解を述べている。
これによれば、(1)のような現況がある以上、「ゆりかご」が命を救うひとつの仕組みとして機能することについては受け入れざるを得ないとしている。そしてそうであるならば、単に今回の出来事を例外として捉えるのではなく、きちんと受け止め、是非について検討を行う、また設置条件を社会的に明らかにする必要があった(のにされていない)との考えを示している。少し端折って言うと、現況では消極的あるいは慎重に、制度整備の議論を尽くすべきであるとの主張をひとまず前に出していると理解できるだろう。
ただし筆者は、もし議論を進めるのであればその際考えるべき課題も次のように整理している。
・子どもの戸籍作成時期の問題
・二重戸籍の可能性についての対処
・名前の確定・命名の問題
・児相の管轄ならびに取り扱い手順などの問題
・預けに来たものが第三者だったり被虐児である場合
・障害や病気を理由に預けられた場合、
・親のことを知る権利に対する対応、ほか*1
いずれにしても、中途半端に特例として終わるのはまずいんじゃないの?という見解が示されたものと理解した。
久々の記事だったので、少し長めに報告。事件が騒がしいときにも識者の見解はいろいろ出ていたが、少し時間が経った際にこういう記事を目にするのは、見直しができて良い。
※なお、筆者の意見を私が十分に紹介しているかどうかは定かでないため、関心のある人は必ず原文をあたっていただきたい。
ps
先日、やっと「こうのとりのゆりかご基金」に送金した。
*1:ちゃんと読んでないので、原文確認してください>各位