生活・暮らしのこと/細かく身近だけど些末ではない話

今年に引き続き来年も、私の関心は、(知的障害・発達障害など)障害がある人のお金を使った生活だとか、服だとか、生活視点になりそうだ。


こういう話はいわゆる障害者福祉の領域に持ち込まれると、その位置づけは軽くなるように思われる。軽いというか、ほかの話のほうがたいへんだから構ってられないというか。だって自立支援法の中で十分なサービスを利用できず、困っている人や、酷い権利侵害に悲しんでいる人は少なくないからなのだろう。
だから軽いとは言わないけど重いとも言えないでしょと言われればその通りだ。


それだけなら良いけど(本当は良くない)、下手をすると「え、そんなことにどうしてこだわるんですか」と真顔で聞いてくる人もいる。暮らしに関わっているはずの「生活支援員」が、どうしてそれを口に出せるのか。


でも権利や生活によいセンスを持っている職員さんって、こういった生活の彩りについても凄く反応がよいということを、私も学生も、これまで何度も経験している。そうじゃない場合もあるけど。*1,*2
それはたぶん、利用者さんの暮らしの視点に、深く具体的に思いが至っているということだからなのかもしれない。そういった面での想像力がきちんと行き届けるということとか。


コミュニティフレンドの話にしても、福祉サービスのように生活の根幹を揺るがすようなことではないと言えるのだろう(少なくとも他の人はそう思っていることが多い)。でもね、人が人として普通につつがなく暮らせているかどうかってのは、暮らしの潤いや彩りに思いをいたせるかどうかにあるのではないか。ことにそれが簡単に無視されがちな人にとっては。


いずれにしても、私は来年もどこかの片隅でひっそりとぐちぐちやっているに違いないと思う。
 

*1:私自身がそのような権利や生活とその支援に関するセンスに優れているかと言えば、そうでもない。

*2:もちろんファッションセンスがどうこうという話ではない。それなら私など最悪だろう。