世界でいちばん優しい音楽

卒論、卒論、修論、会議、授業、ほか、ほか。難しい問題がひとつ、やっかいな課題が幾つか。ぜんぜん減らない。もう夕方。疲れたので少し息抜き。

いろいろ上手く行かなかった午前。自分のミスもあってさらに苛ついていた。待ち行列に入って前方のおじさん・おばさんに悪態をつきたい気分がいや増す。ささくれ立っていた。


こういうときには善い人がたくさん出てくるマンガも良いものだ。鞄から取り出して読みながら、穏やかになっていく気がした。気分だけの問題だろうと? でもこの場合は、それが大事。

世界でいちばん優しい音楽(1) (講談社漫画文庫)

世界でいちばん優しい音楽(1) (講談社漫画文庫)


以前に読んで奥にしまわれていたのが、先日部屋の床のワックス掛けなどで荷物整理に迫られた際に見つかった。


シングルマザーの菫子さん(スウ)とその一人娘のんのんを中心とした話。サイドストーリーもあれこれ。改めて読んでみると、優しい気持ちで構成されているエピソードが多い。作品としては文句や突っ込みはいろいろ入りそうなものだが、そこはまあ、あまり気にしない。

ただ、誰かの感想で「前に読んだときは良かったけど、子どもができてから読み直したら共感できなかった」のようなコメントがあった。鼻につくというか。


そうだろうな。実際に一人で子育てするときに、あまり優雅さを漂わせていられるはずもなく、そこのところがかちんと来るのだろう。
筆者もその点は理解しており、文庫版の6巻目(表紙折り返し)で「だからこそ、のんびりとしあわせに暮らしている部分をたくさん描きたいという思いがありました。」と記している。私は幸い妻に多くを負うて子育てをしてきた(と認めていただけるかはは定かではない)が、それでも、子どもたちの小さい頃は今よりずっとたいへんだった記憶がある。保育園に連れて行く前に体温を測るときゃーっと高くて、それでどっちが看病で欠勤するか喧嘩したり。

だからそんな現実の目から見れば、いかにも女性誌らしい絵柄・カットやポーズもとりまとめ方も、そして子どもとの付き合い方やエピソードも(ついでに豊上さん他のかっこよすぎることも)、馴染めなくなる人も居ることはうなずける。
たぶん、この作品と近すぎるとダメなんだろうと思う。


自分を考えると、どうも私は上記のような点を、たとえば歌舞伎の定型的様式美のようにとらえているようだ。すると、その中からほっとする物語も浮かんで見えてくる。


実は最初の何話かを読み始めたときには、あまりパッとしないというか、底の浅い主人公のような気がしていた。善い人で前向きでほんわかしているお嬢さん気質。でもそれだけなのかな、と。
しかしやはり物語を重ねると、それなりに人間らしく、嫉妬したりわがままや不安に駆られたりしてくるので、何となく乗せられて読みつなぐこととなった。


そもそも(という言葉で進めていいのか分からんが)、私は昨今の浅ましく心が冷え冷えとする人間の描き方をするマンガやアニメが多くなってきていることに、いい加減辟易としてきている。文学作品のようにそれが人間の業を突き刺して心に落とし込まれるものならば何とかよしとしようけど、突き詰めるテーマもあまり感じられないのにただ救いようもなく終わる物語とか。やたらと筋を上げ下げして人の心を引っかき回して最後に唐突な感動ネタを入れてまとめにもならないオチにするとか。その最後の無理な感動ネタを以て“この物語は人間を描こうとしていた”のような正当化を図ろうとしても、そこに至るまでの主人公など登場人物の凄惨な行動にまったく説得力のある描写が置かれていないのだから無理だろう。心がすさむ。悪質なドラッグに酔っているのを感動だと勘違いするかのような。


なんだか話が変にずれてるけど、そういうコンテンツの多くなった昨今のマンガ・アニメからすれば、こういう作品の方がよほどいいじゃない、という話。
ああ、比較という行為自体がしょーもなかったかな。そういうことではなくても、子育ての観点からも、けっこうすきだったりする。ぎゅー、とか。


さあ、仕事を