あいつらはあいつらの生を既に生きていて

子どもは勝手に生きればよいと思っている。しかし、こんな世の中に、とりわけこのような環境と資源の世の中に生んでしまった(産んではいない)ことについては、どこかで申し訳ないという感覚をずっと引きずっている。彼らの姿を目の前にして、あるいは思い出して、ときどきそんなことを思う。


だがしかし、彼らはもう私たちの思いや思惑がどうあれ、勝手に彼らの生を生きているのだな、と感じ入ることもある。あいつらはあいつらで、この世の中を引き受けて生きてるんだなーと。


それはもう、彼らが大きいとか小さいとか、強いとか弱いとか、りっぱだとかしょーがねーとかではなく、“あー、おれじゃなくってあいつらが、いるわー”という感覚から発生する思いだったりする。