眠ることと年齢・体力

数日間書き込めなかった。
便りの無いのはよい頼り。元気だったと思ってください。
(ほんとうは雑用に埋まっていただけなんですが)


さて。

佐藤さんが下記のブログに疲れてよく寝た話を書いた。同時に私のブログにもコメントとして“ぜったいに休みましょう”と書き込んでくれた*1


忙中閑あり(satosholog、2008/02/11)


佐藤さんに言われて、ああそうか、自分はあまり寝ていなかったのだなと気付いた。
 
それまで、やるべきことがぜんぜんできなくなって困っていた。先日行ったインタビューの走り書きをパソコンに打ち込んでまとめるような、あまり難しくないことについても出来ず、イライラ感ばかりが募っていた。
(いや、そんなことすらも自分では後から思い直してわかったことである)


それでもその日はろくに睡眠を取れなかったのだが、翌日は思い直してしっかりと寝たのである。実は気にかかる原稿があって寝ることに後ろめたさがあったのだが、もう自分はそういう状態ではないと理解し、とにかく寝た。
ところがこの年齢になるとということか、朝になるとそれなりに目覚めてしまう。でも疲れが取れた爽快感はない。えーいと頑張って二度寝を決め込む。そう、頑張らないと二度寝ができないこともある。
そして起きたら今度はすっきりとした。


不思議なもので、そうしてよく寝て起きてみると、昨日のようなどんよりとしたイライラ感は消えている。また細かい作業を処理できるようになっている。こうしてみて初めて、あ、やはり自分は寝不足だったのかと気づくのである。


そういえばと振り返る。
若い頃は無理すれば二晩くらい徹夜に近い活動ができたように思う。しかしその後はばったりと寝た。そして長々と寝続けた。
最近は“ばったりと寝る”ということが無くなってきた。ぶっ倒れて寝るようなことがなく未練がましく起きているのだが、しかし極端に作業効率が落ちるのだ。そしてイライラする。あるいはぼーっとする。イラぼー状態突入。
これの困るのは、自分ではそのような状態に入ったことを自覚できないところだ。なんだか頑張って仕事をしているように思っているのだけれど、実はぜんぜん仕事になっていない。でも起きているから成就感がない(あるはずがない)。不達成感ばかりが募り、イライラするのかもしれない。
先日このような状態を横から妻が見ていて、翌日に“ぼーっと突っ立っているから心配になったわよ”と言っていた。あーいや、自分では一所懸命考えたり作業していたつもりだったんスけど。


こうしてみると、やはりしっかり寝るというのは大事なのだなあと思う。


もうひとつ、しっかり寝るというのも体力がいるというのか、あるいは若いとできることなのかなあとも感じた。

歳をとって不便になったが、これも受け入れて工夫しなければならないということなのだろう。


昨日、同僚にそのようなことを話したら、そうそう、と同意していた。自分だけの話ではなかったのだ。

*1:2/9付の「雪の豊橋」コメント参照