後見法の福祉法へのリンケージ

以下、個人のメモ書きレベルです。まったくの未整理文章。わかりにくくてすいません。本来ならきちんと調べて化粧直しをばっちりしないといけない。加えて指示代名詞が多過ぎな自覚もあるのですが(そして正式な文章の際には気をつけるのですが)、思いつきを忘れないように書き流すだけだと、こんなもんです。
よって今後改訂したいなあとの希望付き文章。

さて。


後見法の福祉法へのリンケージはひとまず正攻法?ではなく他の方法でやるしかない、というのが今のところの結論というか、である。


正攻法というのは、例えば(ア)民法のうち成年後見関係を独立させるとか、あるいは(イ)身上監護部分について整理して福祉法体系とするとか、はたまた(ウ)家裁の審判に福祉的な考慮も含めてもらうとか、そういうことをイメージしている。*1

誤解の無いように言い足しておくと、正攻法以外が邪道かというとそういう話ではない。比較的しっかりと対応させるならばそこまで考えるべきという話だ。でもそれが困難ならば次善策として運用的に対処するしかないだろうということだ。


でもこれは今のところ困難と思う。
そもそも民法を変えるというのがたいへん。
また関連部分だけいじることにしても、私法の主体である自然人をどう捉えるかという点を民法では整理しなければならず、後見法はその部分にかかわってくる。だからそこをごっそりと抜き取ることは到底できない(ここは法律家が読んだら大笑いの部分だろう、まあ素人だから許して)。*2


契約にかかわる人(そしてそれに関われない人)をどう把握するかはかなり議論が必要。ただし最近は法律において人間を必ずしも「強い市民モデル」で考えない試みは少しずつ出てきている*3。しかし一定の人に対して契約制限を与えるというアイディアが消えることはないだろう。おそらく制限を与えられることについて概括的な規定だけしておいて、他の各法で制限を具体化させる部分で工夫することになるのではないか。例えば消費者契約法等々。
そしてさらに制限を基本アイディアとするのではなく支援を基本アイディアとする法律の組み立てを別立てで考えていくのが楽だろうと思われる(これを言っているのが、菅富美枝さんの支援法議論だろう。加えてもしかすると菅さんの主張は上記の制限を基本とするアイディアそのものに手を加えようとしているのかも知れないが)*4

民法での契約制限は主として財産管理にかかる部分を念頭としておかれており、またそれ故に民法内に記載される成年後見法は財産管理について取り扱いしやすい。身上配慮義務が書き加えられて成年後見法はノーマライゼーションや本人意思尊重などの理念を持ったとされ、福祉的支援からの関わりも必要と言われるようになったものの、十分に機能できているかというと、そうとも言えない。これを理解しない人が少なからず居ることや、そうでなくとも成年後見が運用できる(されている)場合も少なくないことがこれを示している。


家裁における鑑定書式にしても財産管理のことだけで判断されるようになっている。いわゆる要点式などは特にそうだろう。最高裁家庭局「新しい成年後見制度における診断書・鑑定書作成の手引」作成に携わった岡田幸之氏の議論からも、そのことが明確に示されている*5。審判についても福祉的支援に対する指摘が為されるようにはなっていない。だから為されることはない(為されている審判があったら知りたいので教えて欲しい)。いったい、一般的な話として、福祉的支援が裁判所からの審判・判決などとして言及されるというのはどういう場合なのだろうか。その辺はもう少し丁寧に調べたり考えないといけないので、これ以上は書かない。*6


身上監護にかかる福祉的支援につながる指示が担保されないのだから、それは別の福祉法として補足的な性格で建てるというアイディアはあり得るかもしれない。後見制度にかかわるかたちで作っておき、鑑定や審判のここから先は別の法律に従ってねと言えるようにしておく。すると家裁はその法律の活用を指示すればよい。また行政側としても法的にサービスが担保されるので、事業設置可能となる。(ちょっと強引かしら)

今はこういう事ができないので、家裁から審判を受けた成年被後見人等に対して、これまでと同様の制度根拠を用いて、サービス提供できるかどうかの検討をスタートさせることになる。後見制度の利用が即ち支援サービスを開始させる根拠にも担保にもならない。でもニーズだけははっきりして、そして制限だけは受けるのだ。

もちろんこの場合、後見審判を受けた人が即時にお節介にも何らかの支援枠組みに組み込まれてしまうことの管理性の問題も十分検討されなければならないだろう。


ならばもうひとひねりして、審判と連動しないかたちでのオルタナティブな福祉的支援のあり方を考えるべきと言うことになる。
つまり後見を受けるような方々に対する福祉的支援を積極的に担保できる法律を整備しておき、これの活用を図ることによって、結果として後見審判を受ける(そして財産管理だけで放っておかれる)人を相対的に減らすことは重要なことだろうと思う。*7

これなどは現行法の中で考えると自立支援法のサービスメニューをどう増やすかとかいう話になってしまうのかも知れない。あるいは社会福祉法とか。この辺まで来ると、いずれはなんとかしなければという気になる。またこの部分でなんとかしたいという仲間はいる。それにしても簡単ではないから、賛同者を集めて運動にしていかないとたいへんだろう。


これら以外の方法として地方自治体あるいは民間のレベルで何かするとしたらどういうアイディアがあるだろう。
そこで出てくるのが、例えば行政が制度としてカバーするとか、あるいは後見支援センターとして必要な手配ができるように支援サービスとの隙間を詰めていくとかだ。でもぼーっとしていると後見支援センターはそもそも後見業務の事務的補助で十分ではないかとの理解が広がる懸念もある。ならば名称を成年後見・福祉サービス利用支援センターのように明示するか、あるいは権利擁護支援センター(これは他の人のアイディア)とかするほうが意識がはっきりするかも知れない。

つまりやれる人たちがやっていこうという涙ぐましい姿勢である。個人的には、上記の(イ)の亜型について努力しつつ、ひとまずはセンター的な活動を起こしていくという試みをしている。


ああ、ちょっとした思いつきをメモしておこうと思っただけなのに、ずいぶんと書き殴ってしまった。

*1:後見法を福祉法として捉え直すべきであるという話は私だけがしているのではない。福祉的な領域から後見に関わっている人なら比較的親和性高く理解するはずのことだ。現在は成年後見の審判を受けて対応されるニーズのうち、福祉的なサービスを提供することでカバーされうることというのは少なからずあり、またそうでなければならない。のに為されていない。

*2:こういう荒っぽいのをブログとは言え出すと、信頼無くすかな。いちおう印刷媒体に発表するときはそれなりに慎重に書くのですが。

*3:例えば以下を参照されたい。法律時報、No.991、特集「法は人をどう捉えているか」 なおこの特集号は、筑波大学法科大学院上山泰さんに教えていただいた。記して謝意を表する。

*4:菅富美枝さんの著書に関するブログの書き込みは以下を参照。(1)http://mnagawa.air-nifty.com/misc/2006/12/post_3b46.html、(2)http://mnagawa.air-nifty.com/misc/2006/12/post_8db6.html、(3)http://mnagawa.air-nifty.com/misc/2006/12/post_215a.html、(4)http://mnagawa.air-nifty.com/misc/2006/12/post_da12.html

*5:岡田幸之「鑑定をめぐる現状と課題−施行8年を迎えて−」実践成年後見,No.25,4-12,2008.

*6:このあたりは上記の(ア)〜(ウ)のうちの(ウ)にあたる

*7:このあたりは上記の(ア)〜(ウ)のうちの(イ)にあたる