私にできること、それは情報発信


今回の地震に伴い、知人より以下のようなメールをいただきましたので、掲載します。(掲載許可済み)
文中に、辻本清美議員に連絡取れる人いないか?との言葉があります。もしご存じの方がいれば、お伝えください。私からは彼女のwebにメール送付しておきました。

ご無沙汰をしております。(以前、サポートセンターにっこりハウス、生活支援センターガッテン須賀川をやっていた福島県郡山市の遠藤正一です)


今、私にできること、それは情報発信のみです。動ける、動かせる人に伝わればと思い、伝えています。


特に、困っている人(障がいのある人とその家族、高齢者の方等)から連絡が入りますが、ガソリンが手に入らず、動きたくても動けません。

現在、私は、制度のすき間を埋めるサポートの専門会社をはじめました。(昔から、思いは変わっていなくて、どうしてもこれがやりたくてはじめました)
障がいのある人、高齢者問わず、制度外で困っていることに何でも対応するサービスです。
障がい分野は、今、専門ではありませんが、今まで利用者さんのご家族から連絡が入っています。
海の方(浜通り)は壊滅的被害プラス原発でとんでもない状況です。


以下、今回の地震の報告です。
私の場合、とにかく困っているのは水とガソリンです。


まず、しばらく電話も、インターネットも不通でした。
我が家の場合、インターネットは有線のものはダメで、パソコンに直接取り付け(モバイル?)ものでようやくつながりました。
携帯(au)も、メールのやりとりはできますが通話はダメです。


地震当日】(2011.3.11)
地震の数分前に、たまたま自宅に忘れ物を取り戻っていて、自宅で強い揺れを体験しました。(震度6強)
30年前の宮城県沖地震阪神淡路大震災滋賀県で)を体験しましたが、比べものにならない揺れでした。
自宅はマンション5階建の1階で、潰れるかもしれないという恐怖に襲われました。
その日は、中学校の卒業式で、中学1年の息子は早く帰っていました。
地震が終わって、息子から「お父さんが帰ってきてくれて本当によかった」「一人だったら・・・」と泣き顔で話ししていたことが、地震の凄さを物語っています。
自宅のマンションは比較的新しく、避難指示はでませんでしたが、隣りのマンションは土台がダメで避難指示が出ています。
電気は大丈夫ですが、水がダメで、生活に不自由しています。
余震が5〜10分置きぐらいにあって、その都度不安を感じています。
数百メートルのところにあるビルは完全に倒壊しています。
室内はぐちゃぐちゃです。


【2日目】(2011.3.12)
お客様である一人暮らしのお年寄りのお宅を訪問
片づけを手伝ったり、水汲みをしたりの1日でした。(回れたのは郡山市内の5人のみ)

ガソリンが手に入らず(1人5リットル〜10リットル:スタンドによって違う)、車で移動したくても困っています。
水も困っています。トレイは外でと思い、コンビニ行ったら、すべて使えない状況。


【全体として】(2011.3.12)
海の方は壊滅的状況です。知り合いに連絡を入れていますが、未だに連絡が取れません。

現地の実感としては、今、発表されているのは1/10、いや1/100ぐらいの数字かも知れません。
町がまるごとなくなっていて、現地の役場の建物も、人も一緒に被災されているので、把握できないので数字に上がっていないだけです。


【何よりも原発が怖い】(2011.3.12)
原子力安全・・・の人の発表と振り回されている住民の方との間にあまりにも温度差があって、いてもたってもいられない気持ちです。
(現地に来て発表しろ、直接作業に携われ!と叫びたくなります)
福島の県民性(人がよく、まじめ実直)もあるのかもしれませんが、行政の方(地元では”おかみ”という言い方があり)から、何かを言われたり、指示があると、自分の気持ちはさておき、まずは実直に従うのです。(原発地域の方々の避難所がすぐ近くにあり、先ほど、顔を出してきました)いろいろと言いたいこと、やって欲しいことがあるだろうに、じーっと黙って、寒い夜を迎えようとしていました。
今回の避難と被爆の関係は、もっと早めにちゃんと伝わっていれば、被爆された方はもっと少なかったと思います。
現場はもう手がつけられない状態だと思います。東京のレスキュー隊も退散しました。

1号機、3号機の大爆発よりも2号機の方が危機的状況という情報が流れています。
メルトダウンが現実なものになると思います。一般市民の被爆も進んでいます。
私のところは50キロ離れていますが、我が家の子供たちのことを考えれば、一刻でも早く遠くに離れて行きたい気持ちです。


【2回目の報告】(2011.3.16)
原発が深刻です。
今となっては、逃げたくてもガソリンがなくどうしようもありません。
チェーンメールとかの情報じゃなくても、これは、素人が見ても、”ただごと”ではありません。
何で、それを早い段階から伝えられなかったのでしょうか?
報道で伝えられているかと思いますが、原発地域の方々の1回目の避難場所として川内村(10キロ以上20キロ以内)に約5000人が移動しました。
元々、人口が少なく、お店もない、何もない村に5000人。それが、2回目、3回目のときは20キロ以上へ避難。ところが、受け入れ場所が見つからず、そのままです。そうしている内に被爆の可能性があります。(見捨てられた感じです)
(今、行われているスクーリングは一見、本人さんのために被爆量を計っていますが、ある量を超えた人は受け入れない行政の基準でもあります。)被爆をしてしまった人は、行く所がない。道路は寸断されていて救援物資が届かない。連絡も取れない。村民が自分のところの米と野菜を持ち込み、みなさんでしのいでいるそうです。昔の”兵糧攻め”が現実なものになっています。
どなたか辻本議員に連絡を取れる方はいらっしゃいませんか?
ボランティア何とか大臣になったと聞きましたが、早い段階で、対策本部を立ち上げ、被災地に人とものを送る仕組みが必要です。(福島の場合、原発のこともあ って、ボランテァが動けないとう悲惨な状 況です)
私も神戸のとき、いろいろと関わらせていただき、そのノウハウを経験しました。そんな人がたくさんいるはずです。
ただ、動くに動けません。(ボランテァの緊急扱いを取り決め、ガソリンを供給してもらい、対策本部に集合させ、みんなの力を結集させる。・・・・等の方法は いくらでも考えられると思います。⇒緊急扱いだとガソリンはOK) この手の話は止まらなくなるので、この辺で。

一つ、動画を送ります。(これは、チェーンで回ってきたと言えば、そうですが、心動かされたので、みなさんにもお届けします)
これを見て、なぜか涙が出てきました。ダメなところだけを見ているよりは、捉え方を変えれば、不思議と勇気と元気が湧いてきます。

http://www.youtube.com/watch?v=IxUsgXCaVtc&sns=em


以上、よろしくお願いします。
遠藤 正一


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