梨木香歩「ピスタチオ」

ピスタチオ

ピスタチオ

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梨木さんは「沼地のある森を抜けて」前後で(雰囲気が?)変わった、との印象が個人的にはある。その前だと「からくりからくさ」が凄くて、あの世界に彼女のエッセンスの集約を感じた(好きなのは第1エッセイ集なんだけど)。それで私はひとしきり、その世界を手がかりにして彼女の本を読み返すことがあった。


「沼地のある森を抜けて」の後、彼女は少し対象を突き放してクールに見つめている気がする。クールだから冷たく冷ややかなのではなく、距離のある落ち着きとでも言うのか。それにしても植物など人間以外の生物、とりわけ静かな生物に対する愛着と生命への尊重(すごく語弊がある言葉だ、でも他に見つからないので仮置きする)をベースに人間の生を描くスタイルはつながっているように思える。ただ、以前は人間社会に居ながら書いていたのが、今では半身を草木に移して(それでも主人公は人間なのだけど)人間を見ているのではとも思える。


彼女の纏うファンタジックな世界は、そう、植物系の妖(あやかし)とともに世界を描き上げているようなところがある。そういうと狐狸妖怪の類が出没する鬼太郎のイメージになってしまうかもしれないが、物語にそういうのはあまり出ない。あまりそっちばかり強くなっては楽しくない。そうではなく、どちらかというと、湿度が極めて高い森林の一角で蛍か苔かあるいは霧のような存在(生きている存在)が濃密に居る中で自分も半透明になっているというか。(ここで漫画の「蟲師」を引き合いに出すとまたミスリード誘っちゃうかなー)
いや実際の彼女は、自分の庭や畑でごそごそと土をいじっているおばさん、もとい、おねえさんなんだろうけど。
実は「家守奇譚」「村田エフェンディ滞土録」などは茶目っ気や明るいトーンがあるため、別の作品ラインとして整理しようと考えていたのだが、しかし書き始めてみると案外分け難いなとも思え、戸惑っている。


「ピスタチオ」は同じく彼女が纏っているものを、日本からアフリカへ繋いで書き綴ったものと言えば良いか。「すべては、繋がり、死に、生まれ、また流れてゆく。」と書いてあるオビは、本書への良いガイドだと思う。ライターである主人公は、表面的には出版社からの仕事の依頼により、観光記事取材としてアフリカに来たのだが、しかし実はこの仕事のクライアントは別にあるのではとの思いを途中で抱くほどに、幾つかの偶然に導かれながら旅をする。その導かれ方を読者は主人公とともに感じ入りつつ、物語に乗っていけば良い。
アフリカには一般に乾いているイメージがあるかどうかよくわからないが、そして確かにそのようなどころも移動するが、しかしこの物語には、だいたいやはり湿気がある。


読み終えると、人の命が自分の身体内だけではなく存在しているように感じられるかもしれない。そういうことを書いた物語なのかもしれない。
筋立てとしては奇遇により多少は引っ張られていくのだけれど、感動のエンディングになったりはしない。でも「西の魔女が死んだ」で "I know"というフレーズが読後に印象深く残ってしまうように、主人公たちの感情を共有したい気持ちにはなる。


梨木さんはもしかすると、好き嫌いの分かれる作家さんになってしまったのかもしれない。本書もそうだ。しかし梨木さんの世界に慣れている人なれば、アフリカを舞台にしながらも、ああ、また彼女の世界で遊べるのだなと思えるのではないか。


そう本書を見当違い的に弁護しつつ、しかしいっぽうでは「からくりからくさ」や「西の魔女が死んだ」「春になったら苺を摘みに」のような、登場人物が手仕事を丁寧に積み上げる時空間を中心に人々の関わり合いに浸れる、以前のような話も読んでみたくなる気分もある。読者というのは作家の自然な歩みを理解せず過去を懐かしんで困らせるような、そういう我が儘なところがあるのだ。