秒速5センチメートル/新海誠
私は既に観ていたのだが(新海誠作品は他も含め観ている)、子どもが「秒速5センチメートル」を借りてきたとのことで、夕食後に家族で観る。明日返すんだからさ、と通常よりも遅くまで上映会は行われた。
- 出版社/メーカー: コミックス・ウェーブ・フィルム
- 発売日: 2007/07/19
- メディア: DVD
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以下はネタそのものは明かさないまでもネタに関連する感想なので、ご留意ください。
周りがうるさいと聞こえにくいかもよ、とだけ言って視聴に参加。程なく自然と静かになる。家人も宿題等言うのを諦めた模様。
以前世田谷代田に住んでいたことがあるので、小田急や豪徳寺、新宿は親近感を持つ。
年末年始に各駅停車を乗り換えて3〜4時間かけて北関東を移動した。少ない車両編成の、緑とオレンジの列車など。少し雪にも見舞われたり見舞われなかったり。あのとき私は、小山・岩舟と乗り継いだ主人公のことを考えながら乗ってたなあと、無理な想起に浸る。
第三話まで観終わったところで、中3男子が、え、ここで終わっちゃうの?、と一言。
小5女子が何か言ったのを、おまえにはまだわかんねーよとすかさず突っ込み。それを間髪入れず、そんなことない、私分かったもんと返す小5女子。そして40代男女が、いや、おまえらもわかんねーんじゃねーの、と。
わかるわからんで観なくても良いだろうと思ったが、そんな会話から始まった。そう言いつつ、たぶんそれぞれの年齢で受け取るものが違ってくることで良いのだろうと感じた。
なぜ貴樹は明里にメールを送れなかった(第二話)のだろうとの疑問が子どもから出る。たぶんそれは、なぜ大きくなってから二人は会わなかったのだろうとか、なぜそんな気持ちを紛らわすような生活をした(し続けた)のだろうとか、そんな疑問とも一緒になっているように思われた。
距離とか時間とか、そんなことが隔たりや障壁に、それもどうしようもないくせに茫洋としていて抗いにくい障壁になり、明確な葛藤ではないふうにして消化?されてしまう、もしくは消化しきれずに引きずることがあるのだということを、彼らはこれから知ることになるのだろう。
そして、そんなことについては当然ながら彼らはまだ経験していないのだ、と改めて気づき、ある意味大切に思った。彼らが今そうであることは、とても大切だ。大切な時間だ。
インタビュー(DVD特典映像)の中で新海誠は、この作品を日常生活の中で描くと言っていたように記憶している。それは重要なことで、だから私たちは自分の中にも認められるその感覚と付き合わせてみることができる。
新海の言うように、もし大きな事件が(いかにもわかやすく)起こり彼らが引き離されたり出会いのきっかけが強引に提示されたとしたら、それはまた別の物語となるのだろう。しかし日常の淡々としたように見える流れの中でそれが消えていったり圧迫されていったり、あるいは誤魔化されていくさまを、当初持っていた思いの確かさやまっすぐさもあまり否定せぬまま眺め直すことが本作品の置きどころなのではないか。
先に、年齢とともに本作の受け取りが異なるのではないかと書いた。主人公と同じく20歳代真ん中で観たらどうだろう、あるいは20歳前後だったらどうだろうということもまた考えた。
たぶん20歳前後くらいの頃は、そんなことが何となく分かりつつあるけれどもまだそのただ中にあって少しだけその事実に触れる時間帯に居るのではないか。
もちろん40歳代になっても変わらないのかもしれない。触ろうと思えば、その距離や時間に改めて踏み込み、触ろうとすることだって、できなくはないのだろう。でも私は子どもに、うーん、もう俺はできなくなっちゃったなあと話した。
小説版も読んだら、もう少し中3男子の理解も深まるだろうか。買ったのだが、私はまだ読んでいない。
- 作者: 新海誠
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家族が散会した後、中3男子と私は居間に残って少し話をした。さきほどの、もう俺には云々、もその際のこと。
最後に趣向を変えて YouTube で涼宮ハルヒのED実写というか、「ハレ晴レユカイ」のダンスパフォーマンスを幾つか観たら、笑われた。*1