「イヴの時間」番外/実は人間はロボットにも気を遣う

これまでのエントリーは以下の通り。


イヴの時間」の世界では、人間がロボット/アンドロイドに対して人間のような感情を抱き親愛の情を示すことを、倫理的に不適切としている。それで倫理委員会なるものが置かれ、何やらやっているという設定だ。またマスメディアの操作があるのか、上記のような人間を“ドリ系”と呼んで蔑視するような雰囲気を誘導しようとしているらしい。
この世界では、ロボット/アンドロイドはほとんど人間と見分けがつかないくらいに精巧にできているらしい。だからそれに対してもまるで人間と同じように感情を抱くのだと理解されているように思われる。(だから私は、そのように外見も能力も人間に酷似しているとの世界設定にもかかわらず、ロボットに人間的な感情を抱いてはいけないという要求には、無理があるのではと前に書いた。→イヴの時間act02:SAMMY


がしかしというか、やはりというか、人はけっこう人間的とは言い難い非生命体などに対しても、それなりに愛着を抱いたりもする。第2回(Act02:SAMMY)へのコメントも書いたとおり、人はアイボ(AIBO)に対してもいろんなものを感じるらしい。*1


ちょうど関連記事があったので紹介する。


記事によれば、このプロジェクトは黒木一成氏(株式会社イーガー 取締役会長)の立案に、石黒浩教授(大阪大学大学院工学研究知能・機能創成工学専攻)、平田オリザ教授(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター)が協力し、実現したとのこと。これに先立って、まったく偶然に私は平田オリザさんのラジオコラム枠で彼がこの実験演劇を紹介するのを聞いた。それで記事の印象が強いのかもしれない。


記事中で記者は、人がロボット(人間的というより実用的なデザイン?)に気を遣うこと(という劇の脚本)に興味を示している。また加えて、円滑なコミュニケーションには“気遣い”やそれと限りなく繋がっている“嘘”が含まれるようになるらしいことが示唆されている。

アイボや上記劇中のロボット、さらには「イヴの時間」の世界までレベルはさまざまにあるにしても、人が非生命体に対して人間的な感情を抱き、関わりをする契機は多面的にあるようだ。
それが倫理的に問題とされることがあるとするなら、人が人としての同一性が脅かされるときということなのだろう。


ただ気をつけたいのは、人がロボットに寄りかかる程度は人によりさまざまであり、中にはあまり(まったく)感情的な関わりをロボットに持たない人もいる。そしてそのような人は、かなり人間的に近づかないと、ロボットなどには愛着を持たないだろう。
またさらに言えば、感情的なつながりを人とロボットが持つかどうかと、そのロボットが人の実用的な意味での代替になり得るかは別の話だと思う。少なくとも現時点では人が人に対して気遣うほどにロボットは気遣いができない。また臨機応変さを持ち合わせていない。例えば定型的な介護を行わせるロボットにはまだかなり限界があり、今のところは補助的に用いる段階なのではないか。その意味ではロボットを使う人がその限界性を十分に理解しないと、“気遣い”や“臨機応変さ”にあたる部分までもロボットが埋めてしまえると誤解してしまうかもしれない。
 

*1:らしい、なのは、私は感じないからだ。