全国アホ・バカ分布考/松本修

前から読みたいと思っていた本を、先日買って、読み終えた。面白かった。


全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

番組の記憶

有名な話なのでご存じの方も多いと思うが、もとは「探偵!ナイトスクープ」のネタが発端となり、番組プロデューサが言語学(方言)的にも興味深い調査を行った成果がまとめてある。もともとは「アホ」と「バカ」の地理的な境界はどこにあるのかを突き止めようとした試みから始まったのだが、それがいわゆる方言周圏論に基づく「アホ」「バカ」そのほか侮蔑語の全国分布の状態とその機序を明らかにしている*1。また「フリムン」「ホンズナス」などの言語的に貶められていた意味上の地位を復権させたり、また「アホ」「バカ」のそもそもの語源を追求したりといろんな仕事をしている。まったくそのバイタリティーには敬服する。エピローグで筆者とその同僚の語りとして書かれているが、さまざまな侮蔑語*2のルーツを探ることで、私もこれらの言葉に親しみが湧くとともに、日本語の婉曲的な優しさのようなものに触れて楽しかった。
こう書くと難しそうだが、本書は一般向け書籍を意識した書きぶりと、番組作成の裏話などを絡め合わせて楽しく読めるように努められている。
と言いつつ、書かれてある中身はそれなりに歯ごたえがある。私のように趣味として言葉遊びなど好きな人には良い本だろう。


このネタを私はかつてTVで見たことがある。いやそういう記憶があるのだけれど、脳内でねつ造されただけなのかもしれない。番組のパーソナリティー(探偵役)がある場所に立ち、関西の「アホ」と関東の「バカ」の地理的な境界がここですと叫ぶ場面のイメージ。あまり家の多くない景色だった気がする。言葉の境界が地理的に立ち現れるというのはやはりテレビ的な演出で、私はこれに上手くはめられたというところだろう。何年も経ってからだが興味を引かれて本まで買って読んでいるのだから。

高校生のとき図書館で「ようさ(り)」と出会った

ただこれ以外にも私は言葉/方言が移動することについての興味を喚起される記憶があった。
高校生のとき、学校近くの市立図書館で「ようさ(り)」という言葉を追ったことを前に書いた。受験勉強の合間か何かに偶々手にした郷土史か何かの本でみつけたものだ。


リンクがいろ幾つか切れているが肝心なものは生きていた。感謝。これに敬意を表して再リンクするとともに、申し訳ないけど万が一無くなったら悲しいので全文引用させていただく。

【よさる】
意味

夜。

使用例

よさるおそうまで、どこで遊んでおったがけ。
(オリジナルページでは音声が聴けます。)

背景

 富山県一帯で用いられるが、もう年寄り専用の話になってしまったかもしれない。「よさり」「ようさり」「ようさる」などとも言う。
 「夜−去る」がもとであり、この「去る」は、季節や時を表す語のあとに付けてその時・季節になることを表す。したがって、「夜去れば」が夜が去って朝になったことを表すのではなくて、夜になることを表すのである。それにしても古くて由緒ある言葉である。古事記には「夕されば風吹かむとそ木の葉さやげる−」といった歌謡が載っている。
 なお、「よさがた(夜去方)」という語も用いられるが、これは、夜に入りかけたころ・夕暮れ・宵の口を表す。「夜去り方」の「り」の脱落した表現である。
 古典の世界では、「夜」は、日没から日の出までの間、つまり一日のうちの日の沈んだ暗い間をさした。現代と違って人工的な明りのなかった時代なので、日没後暗闇になることや少しずつ明るくなって日の出を迎えることは、昔の人にとってはその意味深さは計り知れないものであったことは想像に難くない。もしかしたら時間の移動を表す「去る」を「夜」に付けた理由もここらあたりに存するのではなかろうか。


私の故郷は新潟県上越地方である(現在の上越市)が、同じように使っていた。子どもの頃から家族や近所の人たちが普通に使っていた「ようさ(ようさり)」という言葉が実はそのようなルーツを持っていることを見つけたときには、ちょっとした知的興奮を味わったものだ。これもやはり言葉が伝播する機序としては同じように語ることができるのだろう。京都から富山を伝って私の古里まで来たのだろうか。
このような経験があったから、私は本書のような試みを素直に受け入れられたのだと思う。

この本の反響・反応など/言葉の伝播は周圏論だけではないらしいこと

ただ気をつけなければならないのは、言葉の地理的な伝播と方言の成立は必ずしも本書が扱ったような機序だけに因らないという点だ。作者である松本氏もおそらくは分かっていたのだろうけれど、書いていない。本書をドラマチックにもり立てるために省いたのかもしれないが、事情を知らない読者には誤解を招きやすいのは確かだろう。

また本書の終わり辺りでどなたかが作者の「バカ」「アホ」の語源に関する提唱について“いずれ定説となりますよ”とおっしゃったようなのだが、実際には現在どうなっているのだろうか。ネットで少し調べたレベルでは分からなかった。Wikipediaでは触れられているようなのだが。


作者は学術目的の文章も書く気でいたかに思える文章もある。できればそうして欲しかったなあというのが個人的な感想。本書は真面目に書いたけれどエンターテイメント性にも配慮したために中途半端な書き方になっている。論証だけを目的とするならば、もっとさっぱりとした筋立てで(その代わり面白くも何ともないかもしれない)背景情報や関連学説との比較検討などを経た上で提唱の吟味を行い、課題をも含めた整理を行って、検証に耐えうる(検証してもらいやすい)書き方もできたはずだろうに。その場合は、たぶん論文にするなら何本かに分けることになったんじゃないだろうか。


と思っていたら、似たような指摘をした文章があったので紹介しておく。


またこのような伝播の機序について丁寧な手法を使った一般・啓発書としては下記もあるようだ。これの紹介まですると大変なので、示すに留める。私もまだちゃんと読めていない。

日本語は年速一キロで動く (講談社現代新書)

日本語は年速一キロで動く (講談社現代新書)


ここで「年速1キロ」と言っているのはあくまでも象徴的なフレーズであって、実際には言葉や諸条件によって速さが異なる点も本の中では指摘されている。また地域的な言葉の歳と年代の違いを併せて表記したグロットグラムという手法も駆使されている。松本氏の本で関心を持った方々は、こちらも読んでみると良いかもしれない。


あれこれ書いたけど、松本氏が「アホ」「バカ」を始めとする侮蔑語に着目できたのは良かったのかもしれないと思う。侮蔑語は宿命的により新しくパワーのある言葉に取って代わられる性格があると思われるので、それだけ伝播の有様を見るには適していたかもしれない。またお笑い番組を手がける作者だからこそ侮蔑語に対して親しみと愛着を持って取り組めたのかもしれないのだから。
 

最後に、この文章を書く際に見つけた面白い関連ページを紹介して終わる。

 

*1:実際にはそのほかの言葉も調べている

*2:罵倒語と侮蔑語の違いがよく分からずに書いている。間違ってたらごめん。